建築

2006年12月1日 Fragmentos puentefuente



   カスティージャ・イ・レオン自治州のサモラ市には、多数のロマネスク様式の教会がある。旧市街地の住宅建物なんかも眺めていた。十九世紀らしい草とか花と かの装飾や、出窓のある建物のファサードなどを眺めていた時だった。スペイン市民戦争については、ピカソのゲルニカだとか、オーウェルだとか、ロルカだと か、ダリが何をしていたとか、亡命した詩人や画家たちはどうしていた、というように断片的にしか捉えていない。こういった建物は焼かれなかったのだなあ、 と思った。そうしてマドリードのことなんかを思っていた。

   マ ドリードには十数年住んでいるのに、気がつかないことがことがたくさんある。一車線の一方通行の通りが沢山あるのだけれど、そんなところに多分、名もない ガイドにも載っていない、美しいファサードのある住宅用建築があるのだ。通りが狭いから、高いところは上を向かないと、こんな建物があったのね、とは気が つかなかったのだ。そんな目を引く建築物のある街角がたくさんあるということに最近気がついた。グラン・ビアやアルカラ通りなどにはモニュメントとも言え る壮大な建築物がそびえていて、通りも広いのでふと立ち止まって見ることもある。チャンベリだとか、アロンソ・マルティネスから南に下っていったところだ とか、サラマンカ地区だとか、通りの広さに関わらず、美しいなあとか、独特だよなあ、というファサードを見る。

   マ ドリードの北西、カスティージャ広場からクワトロ・カミーノスを結ぶブラボ・ムリージョ通りの西側の地区には、二階建ての小さなレンガの建物が多かった。 ちっとも豪華じゃないけれど、かといってここ数年建てられている味気がない建物ではない、一風変わった建築物だった。多分ユーロ導入政策のあたりの年だと 思うのだけれど、スペインのあちらこちらで建設ブームが始まり、土地価格は高騰して、この地区の二階建ての建物が次々と壊されて新しい建物が建った。古く ても新しくても、豪華でも質素でも、味のある建物はいいなあ、と思う。

   マ ドリードはいつも工事ばかりだ。とにかく道路工事が激しい。市庁は ¿Qué pasaría si nunca pasase nada? というキャッチ・コピーと、古い町並みのマドリードの写真で、なにやら宣伝しているのだけれど、このフレーズがよくわからない。何も起こらな いとしたらどうなると思う。もしも何も起こらなければ、何が起こるの。...pasar という動詞は非常に曖昧だ。おまけにフレーズには名詞も形容詞もない。西武百貨店のおいしい生活というコピーは、名詞と形容詞だけの文だけれど、わかる。 おいしい=味のある=趣のある 生活と解釈した。言葉は嘘とか見せかけになることもあるけれど、言葉にこだわりたい。

   建築には関係ないけど、どう転んでもマドリードは、東京にはならないのだが、マドリードは東京みたいだ、と思えることが、最近あって、どうも気になっている。

写真 上 サモラ市内にある教会の入り口。
写真 下 マドリード市内のアントニオ・デ・ネブリッハ大学のラ・デエッサ・デ・ラ・ビジャ キャンパス。

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