光と夢

2007年1月10日 (水) Fragmentos puentefuente

   お屠蘇も、お雑煮も、牡蠣も、なますも、黒豆も、栗きんとんも、雪もないお正月だったけれど、初夢は見た。『フェティシュ』(Curdled) という題名の 映画で殺人鬼役をしたウィリアム・ボールドウィン(William Baldwin)と面と向かっていた。彼はしきりに映画の場面がどのように台詞をこう違えると変わるのかという説明をしていて、実践演技をしていた。

   映画俳優はめったに夢に出てこないのだけれど、一ヶ月ほど前に、ブラッド・ピットが出てきた。富士山の洞窟の中では大殺戮が行われていて、迷宮の中はコウコウと火が灯され、わたしは見つかったら殺されるだろうと、おののいてるところに、ブラッド・ピットが現れて、緑色のシートを被せてくれ、これで見つからないよ、 といった。

   どうしてこの二人の俳優が出てきたのかもよくわからない。ただ二人に共通することは、アメリカ人で同じ世代というくらいだ。

   映画とか小説は、作り話をどんなに現実的に見せるかという点において力を注ぐと小説家や映画人が語るのを耳にするけれど、ここ何年かに起こっている事件や出来事なんかを見ていると、現実と作り話の境があやふやとしていると思うことがある。どちらが非現実で、どちらが現実なのかはっきりしないのは、不条理があたかも当然のように通ってしまった事実を目の前にしているからだろう。

   昨年暮れにおこなわれた国連派遣の地球環境の専門家たちの報告によると、現時点での地球温暖化は、もう何千年たったとしても取り戻せないところまできていると言う。以前には私たちの子供の世代に影響を及ぼすだろうと言われていたものだけれど、そんな近い未来も、近い明日へとなっているようだ。身近なことだ けど、そういえば去年も思ったのだけれど、マドリードの街路樹のプラタナスの葉が落ちないで、春まで茶色のままくっついているのだ。これは、冬の平均気温が例年よりも高くなっているためだ、と専門家は言っていた。ここのところのマドリードの秋は、雨が多くて日射時間が少なかったのも関係があるのかもしれな い。


   御参りには、いつも平和と健康をお祈りするのですが、とにもかくにも、みなさま良いお年をお過ごしください。

写真 2007年1月10日現在のプラタナス。

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